以前に、ある料理研究家のインタビューを読んだ際、「そこにこだわるのは自分とは考え方が違うな」と感じたことがありました。
その方は、長年にわたって著作やテレビ出演、NPO法人の活動などを通じて日本の家庭料理の大切さを伝えておられる著名人で、僕自身、著書を拝見したこともあり敬意を持っています。
インタビューでの発言の主旨を要約すると、高名な指揮者が譜面を徹底的に研究しオーケストラに対する指導も微細に渡るという演奏へのこだわりぶりを称賛した後で、「この様に、完成されたレシピというものは忠実に守らなければいけない。玉ねぎや人参が1g足りないだけで、スープの味が変わってしまうほどとても繊細で注意を払うべきだ」というものでした。
確かに、素材の野菜が1グラム多いか少ないかで味が変化する、というのは物理的には理解できます。
けれども、そこまで厳密さを求めるならば、他にも指定すべき条件がたくさんあるはずだと僕は感じたのです。
例えば、「人参100g」と記載されていたとして、その人参のどの部位をどれだけ使うかまで指定されているレシピは、見たことがありません。
人参は土中に向かう先の細い部分と、茎の出る丸みのある部分では明らかに味と食感が異なります。
さらに、種苗会社のカタログを見れば分かりますが、人参だけでも何十種類もの種子が存在しそれぞれ特徴があるので、どの品種を選ぶかによって味が変化します。
栽培方法でも、同一品種であっても化学肥料を使うのか、有機肥料だけなのか、無肥料で不耕起で育てるかによって出来上がりが異なり、味も異なると考えられるのです。
そうすると理論的には同じレシピで作っても、微妙な差ながら無数の味の方向性が存在することとなり、1gの差異にこだわる必要があるのかと思ってしまいました。
その方の偉大な功績を尊重した上での話ですので、決してケチを付けたいわけではありません。
ことほど左様に人それぞれの考え方があり、「料理とは思想である」「作り手の思想の表れである」と実感している次第なのです。
飲食店に関しては、よく「あの店は二代目になって味が変わった」とか、
「前はおいしかったのに味が落ちたのは、コストを下げて材料を安くしたからに違いない」などという話を耳にします。
例えば、あるレストランのマスターが通っているラーメン屋は、味が評判で人気も高いらしいのですが、開業時に腕を振るっていた店主は別業態の仕事に着手してしまい、厨房での調理は父親と弟に任せっきりになったしまったとのこと。
マスターが食べに行くと、父親も弟も一所懸命に仕事に取り組んでいるのが伝わってはくるのだけれど、どうにも味が違う、当初のおいしさを感じられないと言うのです。
別の知人の女性は、何年も通っていた和食の居酒屋で、ある時期からお刺身を美味しく感じられなくなり、おそらく仕入れを変えてしまったのだろうとそこを利用しなくなってしまいました。
もちろん、厳密なレシピがあろうと作る人によって味が異なるのは確かですし、材料を変えたら変わるのは至極当然です。が、このような評価は食べる人の主観にも大いに左右されていると思います。
「味覚というのは曖昧・あやふやなものだ」というのが、12年間飲食店を続けてきて得たものでした。
同じ料理でも朝食べるのか夜食べるのかによって味覚は異なるし、空腹で食すのか、お酒を飲みながらなのか、一人なのか会食なのか、その空間が暑いのか寒いのか等々、要件を挙げればキリがありません。
詰まるところ、「おいしい」と感じられるかどうかは受け取り手=食べる人の状態に大きく左右されるので、提供する側は「おいしい」と感じてもらえるように、ただただ万全の準備を施すしかないのです。
その施し(店のサービスと言い換えても良い)とは、提供者の「思想」の表れでもあります。
どのような素材で、味付けで、硬さ・柔らかさで、温度で、器で、速度で、環境で、価格で、というあらゆる要素の結合したものが、あなたの目の前に出されたひと皿に込められている。
素材選びで言えば、どこの誰が作った・採ったものを仕入れるか、農業・漁業・畜産についてどう考えているか、大げさに言えばこの社会をどのように捉えているかによって、その選択が変わります。
人参ひと切れに火を通すとして、蒸すのか、焼くのか、煮出すのか、煮るとして茹で汁をソースやスープに応用するのかしないのか、といったいくつもの選択肢があるのです。
一見するとそれらは技術的な側面のようにも感じられますが、人参の持つうま味や栄養をどう理解していて、食べる人にどれだけ摂り入れてもらいたいかという思想と哲学が背景になければ、調理は務まりません。
飲食店で料理を食べるということは、その店の思想を受け取り対価を支払う行為です。
稀にではありますが、味合わずに掻き込むように食べる人や、店を声高に批判する人、安く早く多いことばかり求める人を目にします。
そのような人たちは、自分の主観だけに捕らわれて、作り手の料理の思想を受け取らないまま食べ終えて、結果的に損をしているように思えて残念でなりません。
皆さまにおかれましては、すべての食事の機会において、素材と作り手を尊重し感謝し、よく噛んで味わって食べていただきたい、と心から願っております。
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